この「Player」、洋楽中心のかなり専門的な雑誌なのですが、はたしてゲームミュージックをどのように取り上げているのか、非常に興味があります。ZUNTATAへのインタビューもあるということなので、早速買って読んでみました。
特集の内容は、4つのインタビュー記事から構成されています。それぞれの記事にはテーマがあって、
1.ミュージシャンがゲームを制作して社会的にも貢献するまでに発展したケース(カシオペア 向谷実さん)
2.ゲームメーカーの音楽制作チームがバンド編成でのライヴを行うまでに発展したケース(ZUNTATA)
3.本業がミュージシャンではないクリエイターが、音楽にこだわったゲームを制作したケース(糸井重里さん、大貫妙子さん)
4.新しいかたちの音楽活動がまんまゲーム開発に結実したケース(松浦雅也さん)
といった内容となっています。どちらかと言うと、ゲームミュージックそのものというより、ゲームと音楽、ミュージシャンとの関係に注目した内容と言えそうです。以下、個別に軽くレビューしていきたいと思います。
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まず、向谷実さんの記事。音楽云々より、「Train Simulator」や「Railfan」の話の方が多いです(笑)。「あの向谷さんが、実はこんなこともやっていた!」というインパクトを前面に出した内容になっています。鉄道の効果音へのこだわりを語る一方で、ゲームミュージックがどうこうという話は全くありません。最後にちょっとだけ音楽のネット配信についても触れているところが目を引いた程度で、ゲーム方面の向谷さんの顔を知っている者にとっては新鮮味のない記事でした。
さて、ある意味一番の注目であるZUNTATAの記事。ちょっと詳しく突っ込んでみます。
インタビューに答えているのは、小倉久佳さん、石川勝久さん、内田哉さん、小塩広和さんの4名。
前半は「ゲームミュージックとハードとの関わり合いの歴史」のような話です。PSG、FM音源、PCMといった辺りの、拙ブログをご覧になってる方であれば多分どなたでもご存じだと思われるレベルの内容ですが、今回の特集の中では一番ゲームミュージック制作の現場に近い話題になってます。位置づけとしては、ゲームミュージック制作の特殊性を読者に伝えるようなスタンスです。ニンテンドーDSでの発音についても少し触れているところが興味深かったです。
後半は、打って変わってライヴ活動について。90年代の華やかりし頃の話が出てきます。こちらは「ライヴまでやるなんてすごいですねー」みたいなアプローチになっているのですが、読んでいてとても気になったのは、あたかもZUNTATAが今でも積極的にライヴをやってるかのような印象を与える受け答えになってるところ。ここ数年ZUNTATAがライブ活動を行なっていないのは知る人なら誰でも知っていることなのですが……おそらく、記事のテーマに沿うように内容が編集されているのでしょう。文面どおりに受け取るとかなり誤解をしそうです。
ともあれ、ゲームメーカーの社員がライヴまでやる(やっていた)ということは一般には知られていないことでしょうから、そういう方々に「へぇ〜」と思わせる記事にはなっています。
にしても、ゲームメーカーの音楽制作チームがライヴ活動を行なっていた事例は他にもいくつかあるのに(S.S.T.BAND、アルフ・ライラ・ワ・ライラ、ゲーマデリック、etc.)、どうしてZUNTATAなのでしょう。おそらく、メーカー社内で名前とメンバーが残っているのがZUNTATAだけだったから、というのが理由なのでしょうけど……そう考えると、えらく寂しい気もします。
ゲームミュージックにおけるライヴ活動という側面で見るなら、現役で活動を続けている[H.]を取り上げても面白かったんではないでしょうか。
ちなみに、気になるZUNTATAの今後については、何も書かれていませんでした。
続いては、糸井重里さんと大貫妙子さんのインタビュー。なぜこの二人なのかというと、MOTHER3のサントラに収録されている「We Miss You 〜愛のテーマ〜」という曲でコラボレーションしているから、とのこと(この曲、私はまだ聴いたことがありません……)。当然ながら話題もほとんどがMOTHERのことになっているのですが、糸井さんがMOTHERシリーズ制作の際に託したコンセプトがそこかしこで明確に語られていて、非常に興味深い内容となっています。ここまでしっかりしたコンセプトを持った人が関わったからこそ、MOTHERシリーズの音楽は名曲となり得たのだろうな、と納得できるものがありました。
その他にも、糸井さんや大貫さんがゲームミュージックについて語る言葉には唸らされるものが多かったです。以下、長くなりますがいくつか引用してみます。
自分が音楽を聴いているときの楽しさは、それまでのゲームにはなかったんです。“音楽を聴いている自分とゲームをやっている自分は同じだから、これは重ねられるな”と。隣の部屋で音を聴いている人にも「良いね」って言われるようなゲームにしたかったんです。
(MOTHER3について)実は総合的にゲームを観ている立場としては、“もうCDの時代じゃない”と思っていて、ゲーム自体もアルバムを作らなくてもいい仕上がりにしたつもりです。
---これからのゲーム音楽を考えたときにどういったイメージがありますか?
糸井:ゲーム音楽が好きでゲーム音楽を作り始めた人が出始めているでしょう? 個人的にはそれだと痩せていく気がするんですよ。できるならば出身地を聞いたときに、ちゃんと出身地を語れる人と付き合いたいですね。
大貫:好き嫌いで言うのではなくて、“ゲーム音楽ってゲームの画面からしか出て来ない作り方しかしていないんじゃないか?”っていうのもある。私達の場合はもっと遠く見えないところに向かって作っているところがあるんです。音楽って人間同士でやるものだから、やっぱり経験していかないと駄目ですよね。ただ画面がリアルになればなるほど、音楽が重要になっているのも確かですよ。
糸井:ゲーム音楽をオーケストラで演奏するコンサートとか、ゲームの外の世界との行き来がやっとできてきたんじゃないかな? 以前その辺をやっていたのはすぎやまこういちさんくらいでしたよね。
今のゲームミュージックが抱えている問題点をあぶり出すかのような言葉の数々。特に「これからのゲーム音楽を考えたときに〜」での一連の発言は、「ゲームの枠の中だけで音楽を作っていてはいけない」という警句であるように思えます。
ゲームミュージックであることを超えて、ゲームの外にあってもその良さが伝わる音楽を目指していくこと。それが、これからのゲームミュージックに求められることなのかもしれません。
さて、最後は松浦雅也さん。元PSY・Sという経歴からどのようにゲームと関わっていったかという話から始まり、松浦さんが手がけた「パラッパラッパー」「ウンジャマ・ラミー」「ビブリボン」といった作品について語られています。「自分が音楽を作る面白さそのものを作品にしてみたい」という思いがゲームの開発に繋がっていったという話は非常に興味深いです。なるほど、そう考えると一連の作品はとてもよく理解できます。
ゲームミュージックはゲームとインタラクティブな関係にある音楽ですから、松浦さんの場合は「自分のやりたいことをやったら結果としてゲームミュージックになってしまった」ということになるのでしょうか。
「ビブリボン」の場合はそれさえも超えて“ゲームと音楽のインタラクション”という形に至ってしまったわけですが、「音楽とゲーム、ゲーム以外のデジタルコンテンツとの関係を見直してみたい」と語る松浦さんには、ゲームと音楽の新しい関係を作り出してくれることを期待したいです。
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以上、4つのインタビューについてざっとレビューしてみました。
一番印象に残ったのは、やはり糸井さんと大貫さんの記事です。岡目八目とでも言うんでしょうか、ああいった示唆に富んだ発言が直接ゲームミュージックの現場に携わらない立場の方々から為されたというのは、実に皮肉なことです。この記事は、ゲームメーカーの方々やゲームミュージックのコンポーザーの方々にぜひ読んで頂きたいと思います。
一方、ZUNTATAの記事は正直言って空振り感が強かったです。(全盛期のように)わくわくするようなコンセプチュアルな話が出るかと思ったんですが、どうも今回の記事の趣旨とは合わなかったようです。もっとも、そういう話を振ったところで、今のZUNTATAにどれだけ期待できるかはわかりませんが。(J.A.M.を除けば)事実上不可能になったライヴ活動について話さざるを得なかったり、記事中でわざわざ最新のアルバムとして紹介しているバトルギア4のサントラも実はZUNTATAレコードからのリリースではなかったりと、はからずも「ZUNTATAブランド」の凋落を感じざるを得ない内容でありました。
全体的に見て気になったのは、この特集がインタビュー記事のみで構成されていて、それ以外の編集側のコメント、つまり「Player」という雑誌がゲームミュージックに対してどういうスタンスで見ているのかという部分が全く無かったことです。こういう骨太な音楽専門誌がゲームミュージックというジャンルにどういった関心を示しているのか、というところが一番楽しみだったのですが、そういったメッセージはほとんど見受けられませんでした。あえて雰囲気から読み取るならば、「ゲームと音楽、アーティストとの関係に好奇の目を向けている」といったところでしょうか。
もっとも、興味半分であってもこういった形で音楽業界がゲームミュージックに目を向けてくれるようになったこと自体、10年、20年前に比べれば格段の進歩とも言えます。それだけゲームミュージックという存在が市民権を得つつあるのだと受け止めて、とりあえず喜ぶことにしましょう。
>糸井重里さんと大貫妙子さんのインタビュー
>ああいった示唆に富んだ発言が直接ゲームミュージックの現場に携わらない立場の方々から為された
意地悪な言い方になりますが、「別にゲームミュージックで生計を立てているわけではない人間が
無責任な立場で好き勝手言っている」とも取れます。
生計を立てている人間の立場からすれば、「初回限定サントラ」みたいな話も止むを得ないでしょうし。
(問題なのは確かなんですけど、それに変わるベターな方法論が見つかっていないから…)
また、
>ゲーム音楽が好きでゲーム音楽を作り始めた人が出始めているでしょう?
みたいな話は既にずーっと言われ続けてますし。今に始まった事じゃないし。
この手の話を展開させていくには、まず細江慎治さんとか渡部恭久さんとか崎元 仁さんとかを
否定する事から始めないと。
各氏の作品で楽しませてもらっている自分からすれば、
「別に"痩せて"てもいーじゃん。"痩せて"る部分からも、見出すべき物がまだまだ見つかるんじゃないの?」
という反論が出てきます。…不健康でしょうか?(笑)
>ゲーム音楽ってゲームの画面からしか出て来ない作り方しかしていないんじゃないか?
基本的にサウンドトラックとはそういうものではないかと。
むしろ「王道の作り方」であると思います。
>私達の場合はもっと遠く見えないところに向かって作っているところがあるんです。
もちろん、広がりを持たせるためにはこういった作り方も大いにアリです。
でも、それが主流になって、こういった作り方「だけ」になっても
それはそれで先鋭的過ぎて非常に疲れると思うんですよ。
ひと頃のZUNTATAにも言えた事ですが、あえて「エッジな存在」として意識しておいて、
たまたまその作品の良さを享受できた時に初めて
「ああ、これは確かに新鮮ですごい事やってますね。」とか
「糸井さん、大貫さん、どうもありがとう」とか言ってれば充分なのではないでしょうか。
割とベタな路線が好きな保守的な人間としては、
先鋭というだけで有難がって本道に据え置いちゃうような行為は結構抵抗あるんですよね。
以上、駄書き込みで恐縮です。
はじめまして。
手厳しいコメント、ありがとうございます。
意地悪く開き直らせて頂きますと、私も「ゲームミュージックで生計を立てているわけではない人間」のひとりです。
私が糸井さんや大貫さんの弁護をしてもしかたがないのですが、同じ「外野」からの意見としてお返事させて頂きます。
>>ゲーム音楽が好きでゲーム音楽を作り始めた人が出始めているでしょう?
>みたいな話は既にずーっと言われ続けてますし。今に始まった事じゃないし。
以前から言われていることだったのですか。それは知りませんでした。
ただ、それがどこで、どういう意味合いで言われ続けているのかが気になります。肯定されているのでしょうか、否定されているのでしょうか?
>この手の話を展開させていくには、まず細江慎治さんとか渡部恭久さんとか崎元 仁さんとかを
>否定する事から始めないと。
各氏の過去の作品については、私もずいぶん楽しませてもらっています。
ですが、ここ2〜3年ほどの作品に限って言えば、否定したい部分の方が多いですね。
特に細江さんと渡部さんに関しては、いささか不健康な“痩せ”を感じています。
>>ゲーム音楽ってゲームの画面からしか出て来ない作り方しかしていないんじゃないか?
>基本的にサウンドトラックとはそういうものではないかと。
>むしろ「王道の作り方」であると思います。
お説、ごもっともです。
ですが、昨今のゲーム環境の進化において、その「王道」はやや置いていかれているような気がしています。
道を破壊しろとは言いませんが、そろそろ見直しや整備が必要なのではないでしょうか。そのためにも、外部からのアセスメントは必要であると考えます。
>もちろん、広がりを持たせるためにはこういった作り方も大いにアリです。
>でも、それが主流になって、こういった作り方「だけ」になっても
>それはそれで先鋭的過ぎて非常に疲れると思うんですよ。
私も、先鋭的なアプローチ「だけ」にしろというつもりはありません。たしかに私は先鋭的な作品が好きですが(苦笑)、本文中にそういった断定的なニュアンスが見られたのでしたら、訂正致します。
ゲームに付随する音楽であればジャンルも形態も問わない、というのがゲームミュージックの懐の深さであり良さですから、先鋭的なものも保守的なものも並び立つのが理想の姿でしょう。
ただ、ここ数年のゲームミュージック、特に保守的な作品には行き詰まりを感じることが多いです。
事情は多々あるにせよ、現状に汲々として守りに入っていたり、作り手の自己満足で終わっている作品を聴くたびに、ため息が出る思いをしています。
ですが、だからといってそれが全部ダメだとか、みんな捨て身で攻めてキワモノを作れとかいうつもりは毛頭ありません。
「ゆるやかにでも変革を進めていって、今のゲームミュージックに漂う行き詰まった雰囲気を変えていくべきではないか。そのためには、ゲームとプレイヤーだけでなく、外の世界をも意識した曲作りがポイントになるのではないか……?」
そう思って、件の記事を取り上げた次第です。
先鋭的な作品を増やせというわけではなく、ゲームミュージック全体の底上げを願ってのことですので、その点はどうかご理解頂きたいと思います。
なんか、スクエニはタイトーを今期中に清算するとか、社員をリストラするとかなんていう話があるようですが…ここは気になりますねぇ。 最近、バトルギア4のサントラがZUNTATAレーベルではなくTEAM-eから出る(http://www.team-e.co.jp/products_new/kdsd-00124/index.html)という話を聴いて「もう自社リソースはダメかなぁ…」と思ってはいたのですが…今後どうなるのか心配です。(OGRさんとかはスクエニのコンポーザーになっちゃうんでしょうか?? 今後FFのサントラとかを手がけるって話になれば、それはそれで聴いてみたい気はしますがw)
スクエニがタイトーを整理するという話は、私も聞いています。
もちろん、あのインタビューはそんな話が出る前に行われたものなのでしょうけど、そういったニュースと合わせて読むと、あの記事にはいっそう寂しさが募ります。
自社レーベルとしてのZUNTATAレコードは、もはや存続不可能と見るべきでしょう。でなければ、バトルギア4のサントラがTEAM-eから出ることはなかったでしょうから。
そもそも、ZUNTATAという存在自体、実質的にどうなっているのか……。
もし仮に、OGRさんがFFの曲を書くなんてことになったら、いったいどんな音楽になるんでしょうね。もっとも、曲書く前に「こんなストーリーじゃだめだ!」とか言い始めて大げんかになりそうな気もしますが(笑)
私も細江さんの作品にある種の不健康さを感じています。特に最近はどれを聞いても・・という感想が出てきてしまってファンとしては困るところです。
しかし氏が新しいアプローチをしてもそれが今までの(名前で買ってくれる)ファンや依頼する側のゲーム会社に受け入れられるかというと疑問に思ってしまいもします。
これはゲーム音楽に限らず一般のショウビズ界においても自分の理想と要求に対する乖離性に悩まされ潰されることは多いと感じます。
これを打破する為にはやはり、まれいんさんのおっしゃる通り外部からの働きかけがない限り、焼き直しとも呼べる現状が続くのではないかとGMファンとして危惧しております。
どうも、お久しぶりです(^^)
細江さんの件、あくまで個人的な見解のつもりだったんですが、よもや賛同して下さる方がいるとは思いませんでした(苦笑)。
具体的に批判し始めるときりがないのでやめておきますが、やっぱり不健康ですよね。
思うに、今のゲームミュージックにおいて「大御所」と呼ばれる方々の多くは、作風が悪い意味で固定化されてしまっているような気がします。
メーカー側が「誰それさんはこういう曲調だから」というイメージの枠をかぶせて作曲を依頼するからそうなっているのかもしれませんし、コンポーザー各位が自らのイメージで自縄自縛に陥っている部分もあるのかもしれません。
いずれにせよ、現状においてパンドラさんがおっしゃる「焼き直し」が起き始めていることは間違いないと思います。
もっとも、ヒット作が出ればすぐ続編や類似作品を乱発するゲーム業界自体が、この「焼き直し」を先導しているという見方もできそうですけどね。ゲーム自体が焼き直しだったら、音楽もそうならざるを得ませんから。
改めて考えると、ゲームとゲームミュージックは切り離せない関係なのですから、ゲームミュージックだけが独立して有り様を変えるというのは難しいことなのかもしれません。
そうなると、まず変わるべきはゲームメーカーの側からなのか……ううむ、根が深い問題になってきそうです(悩)。
ともあれ、メーカー側もコンポーザー側も、糸井さんのような外の世界からの意見には謙虚になってほしいものです。批判を受け止め、良くしていこうという気持ちがなければ変わるものも変わりませんから。
「変わらなくても、当面ご飯食べていけるからこのままでいいや」とか思っているのだったら、失望しますけどね。
微妙に間が空いてしまってすみませんが、ネタ振りをして下さっているので書き込ませていただきます。
>それがどこで、どういう意味合いで言われ続けているのか
具体的なソースは失念しちゃっているのが申し訳ないんですけど、要はゲーム雑誌における
ゲームミュージック特集などの作曲者インタビューで、「作曲者になりたい人にアドバイスを〜」
みたいな文脈で語られてきた事です。
もちろん、「それまでに聴いてきたゲームミュージックの縮小再生産みたいな曲を作られても困るよ」
といった否定的な意味合いで語られていました。実は僕も全くの同感です。
糸井さんの話については、これまであれほどいい仕事をされてきた方だから、一歩先に進んだ
「簡潔で、新しい言葉」が出てきても良かったんじゃないかという気持ちから書いたものです。
僕としては、「すごく大事な話なんだけど、決して新しい言葉ではなかった」という部分に
がっかりしちゃった感じでした。
よくよく考えてみれば「まず始めに言葉を語った」経験があって、その上で言葉を磨く過程を経て、
次の新しい言葉は出てくるもので、いきなり新しい言葉を期待しても無理があるよなぁというのが
現在の心境です。
>昨今のゲーム環境の進化において、その「王道」はやや置いていかれているような気がしています。
ゲームのスタイルが多様化してきて、「王道」が成立できなくなっていますね。明らかに。
僕みたいな古い人間は、「シューティング音楽に逃避する」病に近年ひどく羅患しております。
>道を破壊しろとは言いませんが、そろそろ見直しや整備が必要なのではないでしょうか。
逆の言い方も出来ますね。
前々から、見直しや整備は必要だった。そのために道が破壊されるようならば、それはそれで仕方がない。
個人的には「ゲーム音楽ってゲームの画面からしか出て来ない作り方しかしていないんじゃないか?」な
方法論でもまだまだ掘り下げるべき可能性はあるのかもしれない、という期待をわずかに持っています。
先行する「映像作品のサウンドトラック」にくらべれば、全然歴史の浅いジャンルですし。
>先鋭的なものも保守的なものも並び立つのが理想の姿でしょう。
あ、同様の事は僕も4年前に某同人誌で書きました。自分が保守的な人間であり、
「保守的な人間ならではの限界」をイヤというほど実感しているもので。
>ここ数年のゲームミュージック、特に保守的な作品には行き詰まりを感じることが多いです。
>細江さんの件
少なくとも、「鋳薔薇」「UnderDefeat」に関しては「普通に聴ける曲」の範疇だと思います。
「寛容」と取られるか「妥協」と取られるかはお任せしますが。
>ゲームとプレイヤーだけでなく、外の世界をも意識した曲作りがポイントになるのではないか……?
極端になると「ヒットチャートおよび、そのアーティストの並行輸入」になっちゃいますけど…。
>ヒット作が出ればすぐ続編や類似作品を乱発するゲーム業界自体
それ以前に発売タイトルの絶対数が多すぎです。クリエイティヴな側面よりも納期に間に合わせる事
を優先する方向に行っても致し方ない気がします。
そんな中でどう変わっていくのかは、最終的には「外の世界からの意見」ではなく
現場の方々の客観性と体力に期待するしかないでしょう。やっぱり。
以上、またしても長々と失礼致しました。
>「それまでに聴いてきたゲームミュージックの縮小再生産みたいな曲を作られても困るよ」
私もこれには同感です。
ですが、そういうことが何年も前から言われていたのに、今また糸井さんが「古い言葉」としてそれと同じことを言わなければならなかったのか、そこがとても気になります。
つまりそれは、結局“縮小再生産”が行われていることの証左ではないでしょうか。
過去の危惧が現実になっているという意味で、それは憂慮すべきことだと思います。
>僕みたいな古い人間は、「シューティング音楽に逃避する」病に近年ひどく羅患しております。
私も元はシューティング畑の古いタイプなので、お気持ちはよくわかります。
ただ、昨今のシューティングの楽曲も似たり寄ったりになってしまって、少々辟易するものがありますね。私は密かに「F/A病」と呼んでいますが(苦笑)。
>個人的には「ゲーム音楽ってゲームの画面からしか出て来ない作り方しかしていないんじゃないか?」
>な方法論でもまだまだ掘り下げるべき可能性はあるのかもしれない、という期待をわずかに持って
>います。
>先行する「映像作品のサウンドトラック」にくらべれば、全然歴史の浅いジャンルですし。
なるほど。そもそもゲームミュージックはインタラクティブ性があるという点で既存のサウンドトラックとは違う側面を持っていますから、まだまだ現状においても追求できる部分はあるかもしれません。とはいえ、袋小路が見え始めている感もあるので、そこをどう回避していけるかに期待したいと思います。
>>先鋭的なものも保守的なものも並び立つのが理想の姿でしょう。
>あ、同様の事は僕も4年前に某同人誌で書きました。自分が保守的な人間であり、
>「保守的な人間ならではの限界」をイヤというほど実感しているもので。
私も古くからのファンなので保守的な側面があるのですが、それを知っているが故にあえて革新的な方向を主張するようにしています。聴く側が守りに入ってしまったら、作る側も守りに入ってしまうので、それは避けなければという思いが強いのです。
ゲームミュージックはまだまだ発展途上のジャンルですから、ここで小さくまとまってほしくないのです。もっとジャンルとして発展するためには、多少はとがったものが幅をきかせるくらいがちょうどいいのではないでしょうか。それでこそ保守の良さも引き立つでしょうから。
>>細江さんの件
>少なくとも、「鋳薔薇」「UnderDefeat」に関しては「普通に聴ける曲」の範疇だと思います。
>「寛容」と取られるか「妥協」と取られるかはお任せしますが。
たしかに「普通に聴ける」範疇ではあります。決して駄作というつもりはありません。
多分に、細江さんの昨今の作品は「水戸黄門」になってしまったのだと思います。
周囲から期待され、それを維持することを求められた偉大なるマンネリとして。
それをどう捉えるかは人それぞれだと思いますが、私などはそろそろ黄門さまも代替わりが必要なのではと感じている次第です。
>>ゲームとプレイヤーだけでなく、外の世界をも意識した曲作りがポイントになるのではないか……?
>極端になると「ヒットチャートおよび、そのアーティストの並行輸入」になっちゃいますけど…。
そこまでポピュリズムに侵されるくらいにメジャーなジャンルになれるかどうかわかりませんが(苦笑)、ゲームの世界だけで内にこもって悶々とし続けるのもそれはそれで極端だと思います。
まあ、要は程度の問題ということで。
>それ以前に発売タイトルの絶対数が多すぎです。クリエイティヴな側面よりも納期に間に合わせる事
>を優先する方向に行っても致し方ない気がします。
これはおっしゃるとおりかと思います。
私は制作の現場を知らないので、依頼の数や納期の厳しさといったことは全くわからないのですが、これだけ膨大な量のタイトルにそれぞれ楽曲をつけていくとなれば、「質より量」とならざるを得ないのはわかるような気がします。
ましてや、有名コンポーザーともなればそのネームバリューを求めてメーカー各社から引っ張りだこになっていることでしょうし、そうなればクリエイティブなアプローチを取る間もないだろうことも何となく予想はできます。
でも、だからといって「じゃあしかたないよね」とリスナーが妥協するのはそれはそれで間違っていると思います。
発売タイトルの量や納期云々による諸問題については現場の方々の客観性などに期待するにしても、せめてリスナーとしては、現状に不満があるということを事あるごとに主張していかなければならないのではないでしょうか。そういった声が届くことで現場も変わっていくのではないかという方に、私はむしろ期待しています。
とはいえ、自分の武器がこんなブログしかないというのは歯がゆい限りですが。
>以上、またしても長々と失礼致しました。
いえいえ、こういった骨太なご意見はいつでも大歓迎です。
今度ともどうぞよろしくお願い致します。
細江氏は出たときからエッジにたっていたけど、変わらないまま本流になっちゃったから薄れて見えるだけかな?とも思ったりもするんですけど、F/Aを聴くとですねやっぱり(以下略
で、ネームバリューに関して最近思ったのは、ピンクスゥイーツのサントラの売り込み方ですか。元曲を気に入っているだけに、「ふざけるな」と思いましたよ。
お返事少し遅れましてすみません。
プレイングマネージャーという点で、たしかに細江さんは古田監督かもしれませんね。
私からしたら「どっちかに専念した方がもっといい結果が出せるんじゃないか」と思ったりもするんですが。現役プレイヤーとしては(以下略)。
そして崎元さんはオレ流、ですか?
ピンクスゥイーツの件、私にとってはちと耳の痛いご指摘です。
実は私、ピンクスゥイーツが実際に稼働しているところを一度も見聞きしたことがないくせに、「埼玉さんのアレンジがあるなら……」という理由を主にサントラを買ってしまったもので(汗)。
いや、オリジナルも聴いてみたかったのは間違いないんですが、ネームバリューで購買意欲を高められてしまったのもまぎれもない事実です。
散々「名前で釣るな」と苦言を呈しておきながらこのていたらくではお恥ずかしい限りなのですが、逆にこういう売り方にはファンが抵抗しがたい強さがある、とも言えるわけでして。何とも根深い問題です……。